当たり前のことなのだが、単語は事実に対して後から付帯される。神に近い偉人が風という言葉を発明して、その後に世界に風が吹き始めたのではない。風は人類が誕生する以前から地上に吹いていた。

世界が広くなったことで、管理する要素は膨大に膨れ上がり、こなすべき役目は一層複雑化してしまった。マルチタスクは一人ひとりの人間に複雑な局面を与え、出来もしない解決を要求し、誤った判断を下すことはある意味で人類の前提事項となってしまった。

孔雀の雌は雄の尾羽に誠実さや信頼を探っているのだとしても、我々がそれを完全に否定することは出来ない。人間以外の動物に審美眼が宿るのかどうか、有るとも無いとも確約出来ないのが実情だ。人間が勝手に判断しなくても良い。

人類の進化という観点から考えると、AIの台頭は間違いなく我々の日常生活をさらに便利に高効率に変革するが、同時に、当然ながら依存の危険を大いに孕んでいる。

他人をいくら出し抜いても、それは運まかせのシーソーゲームでしかないと気付くだろう。自分の勢いは永遠に続くものではなく、むしろ我々が恐れている通り、ここぞと言うときに頼りにならないのは、ほかでもない自分自身になるのだ。

世の中の全ての事象が不確実でいて、どんなことも起こり得るというならば、せめて自分一人の意志だけはときとして揺るがないものであったとて、恐れるほどのことでもないと思うこの頃なのだ。