カラヴァッジョの眼

カラヴァッジョはイタリアのルネッサンスの中心人物であったミケランジェロの死後、数年の後に生まれたイタリア人画家である。

カラヴァッジョの作品を観ればわかることだが、印象的な独特の画風で知られ、絵画の技術レベルも極めて高く、その表現の先見性という観点からも、世界の絵画史に永遠に名を遺す類稀な芸術家であった。

カラバッジョは端的に言って、作品中に、極めて冷静な手法で心の動揺やダイナミック感情の動きを、作品中の主人公にではなく、作品を目の当たりにする鑑賞者の心に呼び起こす技法を生み出した偉才の画家だった。

例えばこんな状況を想像していただきたい。あなたは信号待ちをしている。横断歩道の向かい側に、同じく信号待ちをしてる若い男女のカップルがいたとしよう。片側3車線の広い道路の交差点で、信号はわりと長いインターバルの待ち時間がある。

しばらくすると、カップルの男の方が突然怒鳴り声をあげた。女性の方は話にならないとでも言うように男に捕まれた腕を振り払って、空車の表示の無い乗客中のタクシーをしっかり確認しないまま、慌てて止めようと交差点の中へ2,3歩あるき出す。その一瞬後、男が女性の髪をもの凄い勢いで引っ張り寄せ、平手で彼女の横顔を叩いた。そして罵声を浴びせながら立て続けにもう2発、2発目は両腕で頭を抱えて防御しようとしている彼女を、その腕の上から直接こめかみの辺りに上から叩き下ろすように殴りつけた。彼女は地面に叩きつけられるように倒れ込んだが、男はまだ彼女の髪を離さない。

あなたは今、同じ信号の向かい側で信号待ちをしている通りすがりである。この事件が発生する直前までは、歩行者の信号機に四角い赤の表示がまだ灯っているのを少し苛々しながら観ていたかも知れない。あるいは通り過ぎてゆく自動車をただのんびりと眺めていただけかも知れない。数百メートル離れところのコンビニを見据えながら、タバコひと箱を今のうちに買い足しておこうというアイデアに考えを巡らせていたかもしれない。

しかし、男が怒鳴り声をあげたとき、その思考は遮られたに違いない。そしてそのあとの数十秒の間に起きた事件に目を奪われ、ダイソンの掃除機20機くらいにいっぺんに吸い込まれたかの如く心を丸ごと吸い込まれただろう。

そのとき、通り過ぎた車の色を覚えているだろうか。何台の車が通り過ぎたか、後ろの歩道を通り過ぎた自転車に気付いただろうか。男女の後ろの建物の壁はガラス張りか、タイル張りか。

こんな状況に遭遇すると、一瞬にして意識は事件へと吸い込まれ、他のほとんどすべてのディテールは記憶から霧散してしまう。

圧倒的な事件に遭遇したとき、我々は、身体以外の全てを奪われてしまう。

カラヴァッジョが題材にした絵画の多くは、ある意味では事件の描写である。カラヴァッジョが絵画を描き始める以前から、ヨーロッパの画壇にはキアロスクーロと呼ばれる光の明暗法が既にあった。それまでの絵画は比較的均等な光が画面全体を支配するような技法が主流であったが、いつしか絵画に光と影をより大胆に取り込んで、キャンバスの中の主題をより鮮明に浮かび上がらせる技法が発展した。そういう時流と、カラヴァッジョ自身の類稀なアイデア、先見性とが彼独自の表現を生んだ。

彼は、心を鷲掴みにされるような事件を目の前にしたとき、その事件の当該以外の、あらゆる存在の消失を自覚したに違いない。その自覚は画家である自身の表現方法に新たな可能性をもたらすこと直感しただろう。

そして彼は、絵画の中にリアルな事件を生のまま閉じ込めるテクニックを発明したのだった。

Tenebroso(テネブローゾ)と呼ばれるカラヴァッジョの技法は光と闇で描くと解説されるが、僕にはカラヴァッジョが、世の中で起きる事件のリアルを、圧倒的な存在感と劇的な虚無とで描き分けたのだろうと感じている。これは絵画技法における画期的な発明であったが、彼の天才的な直感無しには生まれ得なかった、ほとんどファンタジーとも云えるような技法であると思う。

人間の脳は、心を鷲掴みにされる時、その他のあらゆる記憶のディテールは光も色も奪い取られ、虚無の空間に放り出されてしまうことを、カラヴァッジョは発見したのだ。

鋭敏な直観力や、類稀な先見性は、望んで得られるようなものではないし、それらの能力を有する人材はいつでも極々少数である。カラヴァッジョは長い美術史の中でもそれらの能力に圧倒的に長けていた画家だった。38歳で病死してしまうが、これほど鋭敏な人格では、長く生きることもそれはそれで困難であったろうと想像する。