完結に至る途上で
現代アートが難解と言われるのは珍しくないが、ことアートという言葉自体の意味を、再定義とまではいわずとも、その意味を再考するというのは有意義なのかも知れない。
日本ではアートは芸術と訳されるのが一般的である。日本という島国は歴史上、外来文化を輸入し続けてきた背景があるが、明治維新後に沢山輸入された外来文化は、それらにわざわざ翻訳語を当てていたことも現代とは異なる。現代でもてはやされる“グローバル”の流れは、特に英単語についてはその発音を“日本語化”しているものの、言葉としてはそのまま使われ、英単語を使う人各々に翻訳を任せるようになっているようである。しかし昔は、文化を輸入した後、いつかの時点でそれに見合う翻訳語を誰かが名付けていた。
外国文学を翻訳する場合、原著作者と翻訳者の名前は記載され、しかもその一冊がお墨付きの原本になるというわけではなく、別の誰かがその人なりの考えで別の翻訳書を出版することが出来る。つまり外国語は解釈の仕方に幾通りも可能性がある、ということの現われである。翻って輸入外来文化の日本語名に関しては、それぞれ唯一の言葉で固定されてきた。しかしながら翻訳本が複数あるように、外国語の翻訳はもともと解釈に幅があって当たり前なのである。そういう背景を踏まえたうえで、ここでは現在使われている翻訳語に改定案を持ち出すことはしない。ただ、意味と背景を考える、というだけである。
芸術と言えば絵画や彫刻という、世界中の美術館に展示されている作品を表すのはもちろん、音楽、舞踏、演劇、文学、詩、なども芸術の枠内にある表現形式だと僕は考えている。
これらの表現形式には必ず、制作者の仕事の結果がある。つまり作品である。そして須らく、これらの仕事の結果が、展示されたり、演奏されたり、上演されるということの背景には、それらの仕事の成果物を楽しみ愛でる、というフェイズがほとんど不可欠なのである。作品を愛でるのはほとんどの場合、制作者ではなく、鑑賞者であり、この二者は同一人物ではなく、ほとんどの場合で他者である。同一人物である場合が少ないのはきっと、制作者というのはその性質上、一つの仕事が完結すると、すぐに次の仕事に取り掛かるもので、生涯における作品の総数は問わずとも、仕事の量は常にその人の人生の大半を占める。つまり云わんとするのは、制作者は完結した仕事を愛でるよりも、次の仕事に精を出すのがその生き方の根本にある。それが故に、愛でる者、つまり鑑賞者と制作者は同一人物には殆ど成り得ない、ということが想像できる。
芸術作品が存在する、つまり鑑賞者から常に愛され、絵画であれば美術館に展示され、音楽であればコンサートホールで演奏され、街行く人の鼻歌として愛されさえする。演劇や文学も同様に、鑑賞者や読者から愛され、作品は永く語り継がれる。それら作品が後世に渡って保存されるということの時間経過を振り返るとき、見落とされがちなのは、それらの仕事が成果物としての完成に至るまでの時間経過である。誰が何故、その作品を所蔵し、歴史の中でその作品が愛され続けたのか、ということは芸術の文化的側面として研究対象になりやすいのかも知れないが、作品がどういう経緯で完成、あるいは完結に至ったのかは、詳しく語られない場合が多い。しかしながら作品そのものを考察する場合、制作者がどういった経緯でその仕事を完結させたか、というのは作品の根幹を成す要素である。
ここで僕は、歴史的に重要な作品の一つ一つについて、完結までの経緯を解説することはしないし、第一そんなことは不可能である。しかしながら様々なジャンルの芸術において、それぞれの作品がどのように誕生してきたのかを考察することは、作品にアクセスするための重要なステップになるのではないかと考えている。
人類が手掛けた仕事の中で最も古いとされるものにアルタミラ洞窟の壁画がある。調査によればそれはおよそ一万八千五百年前に描かれたもので、我々の直接の祖先である、クロマニヨン人が残した仕事とされている。クロマニヨン人は壁画というかたちで仕事を残したが、この壁画が、様々な条件と折り重なりながら永い年月、風化に耐えることが出来たのは特筆すべきと思う。壁画を残した彼らは種族として、我々が行う芸術活動の全てをすでに行っていたと僕自身は確信している。ただ、彼らの作った音楽も、物語も、現代まで残す手段が無かっただけだと僕は考える。演劇はもちろん、立体物の造形だって手掛けていたに違いない。しかし、立体物はその後風化して消失してしまったし、演劇はもちろん、台本のような印刷物など無しに行われていたのだろうと僕は想像する。当時は文字すら発明されていなかったし、印刷技術が発明されたのもつい最近の出来事である。一万年以上ものあいだ、運良く壁画が保存されたのは、作品が残された洞窟の入り口に落石があり、それによって入り口が閉ざされ、結果として風化を抑えられたためである。調査によると落石が起こったのは壁画が描かれてから数千年後の事象とされ、落石当時は既にそこに暮らしていた部族は居なくなっていたのかも知れない。
アルタミラ洞窟の壁画は重要な示唆を僕に与えてくれる。一万八千年前に人類は既に生活様式の中に創造性を持っていたという事実と、もうひとつ、一万八千年の間、人類は絶滅しなかった、という点である。
一万八千年という時間の経緯は長いようで短いかも知れないが、ひとつの生命種が絶滅するのに必要な時間としては十分な幅である。しかし現生人類は絶滅どころかさらに繫栄した。ネアンデルタールや北京原人など多くの他の人類が絶滅する中で、現生人類のみが繁栄できたのは、壁画が落石によって運良く保存されたのと同じように、何かの条件が現生人類を今でも種として保存させているのではないか、とも考えられる。僕はそれが、闘争する本能ではないか、と疑っている。
現生人類、つまり我々の祖先は、世界中で戦争を繰り返してきた。それは歴史を見れば明らかで、歴史以前、つまり文字の無い頃であってもそれは同様だったと僕は考える。我々ホモサピエンスは、対抗する種族を撲滅する。仲間の誰かが“あいつは敵だ”と言えば、盲目的に寄ってたかって、その敵が死ぬまで皆で攻撃する。こういう習性は他の動物種ではなかなか見られない特性である。アルタミラ洞窟で暮らしていた部族はもしかしたら、他のクロマニヨン人の部族に撲滅されたのかも知れない。
人類はもちろん、地上に生息する多くの動物にはいわゆる三大欲求がある。食欲と睡眠欲と性欲である。その他にも排泄や集団生活など、生命維持に必要とされる欲求はあるが、最も根本的なものは初めの三つに集約されると考えられている。
これらの欲求についてとても重要なことは、それぞれの欲求を満たす際に、理由や目的を必要としない、という点である。性交の仕方を教わらなくとも、あるいは子供が欲しいなどと目的を持たなくとも、性交は行われて、それは見事に成就する。睡眠も、健康維持のためとか、何か目的をもって寝るのでなく、抗えないままに眠りに“落ちる”のである。食べるということにおいても、そこに明確な目的意識は根源的に存在しない。食欲を支えるのは何よりもまず、その日も、自身が眠りから目覚めた故、とさえ言える。
例えば生態系で上に位置する猛禽類や肉食動物は狩りをして食料を確保する。狩りをするのは空腹を感じたからではなく、そもそも彼らは狩りをすることが生きることそのものなのである。狩りをすることが生きるうえでとても苦痛に満ちていたり、精神的に大きな負荷をかけるようであったなら、肉食動物はやがてその苦痛に満ちたミッションに敗れ、絶滅していただろう。彼らが上手に狩りを遂行できるのは、それをしたいという強い動機に支えられているからである。
僕は敢えてここで“動機”という言葉を使った。我々が考える動機とは、何かの理由や目的によって引き起こされる内面的衝動と考えがちだが、生命にはもっと初元的な動機があると僕は考えている。つまり、理由や目的を必要としない、動機以前の動機である。それは生きるために必要な行為を無目的に遂行するための根源的な情動で、それらが三大欲求を充足させ、延いてはその種族を決定づけるような遺伝特性、つまり現生人類で言えば創作すること、闘争し相手を撲滅すること、たとえ無目的であってもそれらの行動を強く下支えするのだと、僕は考えている。その意味で人類が戦争と離別できないのは、認識や理解などとは関係のない部分で、誰かが“敵だ”と言った言葉に反応してしまう人間の本能ではないかと僕は疑うのである。
そしてもうひとつ、創作することそのものに対しても、人類は無目的な動機に支えられてそれを遂行している、と僕は確信している。つまり人類にとって、三大欲求を満たすための手段の中に、この創作が不可欠な要素として入り込んだ、という意味である。創作欲求が、社会生活を営む人類の生存に何かしら必要不可欠な要素となった筈だ、と僕は考えている。この創作と並列して、闘争と撲滅の欲求が人間をして確固な社会形成を後押ししたのではないかと考えるのである。
社会性を持つ生物種になったのは、生きるために創作が必要だったことと、敵を倒す、を通り越して撲滅させることを手段としてきたがために、必然的に得られた結果なのだろうと想像している。
この文章の始めに、僕は作品が作られるうえで、完結までの経緯を如何にして辿ったか、ということを問わねばならないと指摘した。それは結果としての作品そのものばかりが注目され、もてはやされるなかで、ないがしろにされている重要な要素だからである。
考えてみてほしい。もしも人類が将来、人間の受精卵の完全な培養に成功するシステムを開発するとしよう。受精して間もない受精卵を胎盤に着床する前に母体から摘出し、環境を完全な形でコントロールできる培養システムの中で生育させれば、母体は300日近い妊娠の過程の全てから解放され、しかも、ときとして起こりうる危険な流産などからも回避できる、画期的な技術となることは間違いない。そしてそのシステムのおかげで、優良な遺伝子を持つ女性が、男性と性交して受精卵を量産すれば、母体の健康を損なうことなく、沢山の優良な子孫を生み出すことが可能になる。もしもあなたがその、優良な遺伝子を持つ女性だとして、あなたは妊娠の過程を経ることなく、自分の子孫を無限に増やすことに幸福を見出すだろうか。正直、僕はこの問いに返答を求めない。聞くまでも無いとことだと思っている。そして、創作する人間も同様に、自身の制作プロセスに情熱を持っていることを明記したい。
美術作品がものとして独立し、交換可能なものと認知されるや否や、作品自体はその価値を問われ、それは資本として流通し始めた。作品はより多く生産されることを望まれ、同じ完成作品をより低コストで、より短期間で製造することを善とするようになる。そこで実際には、制作者の動機はもしかしたら軽んじられてしまったのかも知れない、と僕は想像する。そして僕は疑問に思い、さらに考える。もしも芸術作品が世界から市民権を獲得するとしたら、それは作品の数によって、世界中に流布したためなのだろうか。あるいは単に、その作品が人をして向き合わざるを得ない個性を内に秘めていて、人を真の意味で動かしたからだろうか、と。そしてもしも芸術が世界を変えることが出来るとするならば、それはいったいどんな作品で、そこはどんな世界なのだろう、と。
人類の歴史は少なくとも二十万年と言われている。二十万年の間に人類は様々な変化を辿った。それを進化と呼ぶか適応と呼ぶかは自由だが、いずれにせよ、人類は現時点が完成形なのではない。時間の流れの中で、我々は未だ極めて緩やかな変化の途上にある。いつか他者を撲滅しない人類に成れるのかも知れないし、地主が小作農と肩を並べる時代が来るのかも知れない。そのころ人類の創作はより普遍性をもって、資本という枠から抜け出しているかも知れない。

