犬の系譜 其の参

 ヨーロッパで労働許可証を得るのは容易いことではない。ヨーロッパの中でも特にアフリカに近いイタリアは、外国人の受け入れにはとにかくシビアであり、手厳しい。僕自身は長い長い手続きの末に、2014年にイタリア政府の労働許可証を取得した。東日本の震災から3年が経過していた。今年はイタリアに移住して10年目になるが、今でも外国人として沢山の規制を受けながらの生活は変わっていない。人によってはそれらの規制が煩わしいと感じられると思うが、僕の場合は自身の性格的な特性として、臨機応変に立ち回ることが大の苦手であり、今ある状況に甘んじてしまうという悪癖の所為で、日常生活の不都合な部分はついつい見ないようにしてそのまま留めてしまう。より賢く立ち回ることで日常をより快適に改変することはきっと可能だし、多くの場合、それほど難しいことではないのかも知れないが、別の選択肢を探すことそのものがどうにも苦手である。何しろイタリアに移住してこの方、晩ご飯の献立は変わったためしがない。10年の間、毎晩同じものを食べている。他の献立を考えるのが殊のほか面倒なのである。無事に自分の身体が新陳代謝をしてくれればそれで御の字なのだ。平たく言えば餌である。

 イタリアに移住して始めの活動拠点となったCassinoは人口3万人程度のイタリア中南部の小さな街で、第二次大戦におけるMonteCassinoの攻防で有名な土地である。僕の暮らすことになったアパート、といっても平凡な2階建ての一軒家であるが、そこには二階に暮らす大家さん一家と、そこで飼われている2匹の犬がいた。JoeとZeusという名前で、Joeは一般的な雑種であだ名はジョジョ、僕と知り合った頃は3歳くらいだった。もう一匹はZeus、パグ系の雑種で生後数ヶ月、実は入居したのはぼくの方が数ヶ月早かった。あだ名はクッチョロ、イタリア語で仔犬という意味である。

 アパートは市街地から3㎞ほど外れにある、閑散とした住宅地で、車線の無い狭い道路の両向かいに住宅が並んでいるが、時たま空き地になっている部分もあったり、道路に面する家の背後には他の住居はほとんど無いので、基本的に住居の裏はどの家も庭になっていた。アパートの家主の場合は畑が出来るほどの広い庭を持っていて、そこで食用の鶏やウサギを飼育していたし、畑の奥で養蜂もしていた。二匹の犬は基本的に放し飼いであった。隣家との境は柵で囲われていたし、道路からの出入り口には大きな電動の門が備え付けてあったので、犬を囲って飼うことも出来たのだろうが、行方不明になるわけでもないし、他人に危害を加えるわけでもないので、ジョジョもクッチョロも囲われることはなく、完全に自由な放し飼いであった。

 入居したての頃、僕はなるべく情が移らないようにジョジョにもクッチョロにもあまり関わらないように心掛けていた。Cassinoのアパートはとにかく寝るための場所と割り切っていた。Cassinoを本拠地として制作活動する考えは毛頭なく、ただ、労働許可証を得るのに最も適した場所だったという、その理由でCassinoに住むことにしたからだ。Cassinoには僕の作品をいくつか購入してくれていたイタリア人コレクターがいて、その方が僕の労働許可証の取得に尽力してくれたのだ。

 イタリア移住後の本拠地をどこに構えるかはさておいて、とりあえず仮住まいのCassinoで僕は彫刻制作を始めた。Cassinoはイタリアの自動車メーカーFIATの工場がある街としても有名で、僕が居住していた頃はおもにAlfa Romeoのいくつかの車種が製造されていた。自動車製造におけるサプライチェーンも地元企業に縛られることなく、価格と品質において条件が合うのなら、世界中の至る所から必要な部品を輸入するのが現代だ。しかし現代ほど物流に融通が利かなかった時代には、大きな工場は工業地帯の中心部に新設するか、あるいはその逆で、大きな工場の周辺に工業地帯が展開した。Cassinoは自動車のFIATの他に、スウェーデンのベアリングメーカーであるSKFのイタリア工場があって、北部イタリアに比べて人件費の安い中部や南部のイタリアにおいて、Cassinoは金属加工の街としてポジションを得ていた。

 彫刻制作を始めてみると以外にも周辺に小さな町工場が多く、金属加工においては彫刻制作にもある程度は順応できる熟練工もそれなりに見つかった。もちろん、美術作品となると微細なディテールまで作り込まなくてはならないので、町工場の職人たちが手掛ける工業製品のクオリティレヴェルとは全く違う。なので常に僕自身が傍について一緒に作業する必要があった。しかしながら、なんだかんだと彫刻制作の可能な環境を整えるうちに、2年3年と月日が流れ、結局、Cassinoには2023年までの9年間を過ごすことになる。

 彫刻制作以外のことに時間を奪われることを極力避けたい僕は、Cassinoでの人付き合いもかなり制限していた。良好な人間関係と人脈を作ることは、逆に仕事をより潤滑に進めることが出来る、ということをその頃の僕は知らなかった。ただ、自分の時間を確保すること、時間を他人に奪われないこと、それが最も重要と考えていた。その延長線上に犬との関係性もあったと言ってい良い。放し飼いの犬たちは簡単に僕の部屋に入ることだってできるので、変に犬たちになつかれて部屋を汚されたり、挙句の果てに餌やりなどする羽目にならないよう、ジョジョとクッチョロとは一定の距離感を保つよう僕は勤めていた。

 ところで放し飼いの犬を見ていて感じたのは、本来の犬の素性である。なにせ首輪に繋がれたことがない。ポケのように脱走して、こちらが追いかければ一定の距離を保って逃げるなどということはしない。放し飼いの犬に近寄れば、「何か御用ですか?」と逆にこちらに問いかける。まともなコミュニケーションが取れるのである。元来、犬は人間と共生してきた動物で、その歴史は少なくとも数千年以上である。遺跡は発掘されていないがもしかしたら一万年以上、人間と共に暮らしてきたかも知れない。犬はすでに本能として人間とコミュニケーションを取る術を心得ているのだ。個人的には犬は放し飼いの方が彼等の精神衛生上、都合が良いと考えている。しかし昨今の都市生活や、人口密度、ペットを所有する上での飼い主としての責任、いろいろな観点から、少なくとも都市生活において放し飼いは事実上不可能である。戦後、日本は急激な経済発展を遂げて、都市も膨張し、日常生活も忙しくなって、いつの間にかペットは囲われるか、少なくとも他の人に迷惑のかからないような繋がれた飼い方に変わった。家の中に囲われたり、あるいは庭で繋がれるしかない犬たちは、忠犬ハチ公のように御主人様の見送りや出迎えをすることはできなくなってしまったのだ。だがしかし本来、犬はその程度コミュニケーションであれば自然と取れる動物なのである。主従の関係はあったろうが、相互協力の関係でもあった。お互いに情を持って接していたし、信頼関係もあった。内外の区別ができ、敷地への部外者の侵入は犬が知らせてくれた。現代の都市生活においては、犬は歴史的な意味、あるいは本能的な意味における犬の役割を全うできないでいる。その代わりに犬は人間の家族としてあたかも人間のように振る舞うことが彼らのミッションになりつつある。犬と人間の関係性は現代において新たな過渡期を迎えたと言っても差し支えないと思う。犬も、我々人間も、都市においてどのように同居できるのかを手探りで見出そうとしているのが現代である。

 ジョジョとクッチョロは本来の犬として、本能の赴くままに生活していたが、一歩外に出ると、道路には自動車が行き交っている。猪や鹿や狸と遭遇するのとは違う。自動車そのものは意志が無いので、動物同士の遣り取りは出来ないし、おまけにとんでもないパワーを秘めているので、立ち向かえばひとたまりも無い。飼い主はもちろん、運転手にとっても、ペットが車に轢かれることは絶対に避けたいのであって、自動車社会に生きる我々には犬を囲うこと、繋ぐことは他に選択肢の無い必須条件となった。頭の良し悪しなのか、性格的特性なのか、ジョジョは自動車の往来がそれなりに多い国道でも、向こう岸に渡る術を心得ていた。一方で猪突猛進型の性向があるクッチョロは、体格的な弱点もあって、国道を横切るのはロシアンルーレットさながらの手に汗握るチャレンジであった。ジョジョは毎朝、朝ごはんを食べに家主ジャンニのお父さんであるヴィンチェンツォ爺さんの家に朝ごはん食べに通うのが日課である。ヴィンチェンツォ宅に行くには国道を二度、横切らなければならない。ジョジョは毎日それを実行していたが、成長と共に兄貴分のジョジョの後を付いてまわっていたチビのクッチョロには、国道二回の横断が殊のほか危なかったので、家主のジャンニはクッチョロだけを父のヴィンチェンツォ宅に住まわせることにした。そうでもしない限り、遅かれ早かれクッチョロは車の下敷きになることが避けられないと判断したからだ。そしてクッチョロはヴィンチェンツォ爺さんの家で囲われて暮らすようになり、ジャンニは夕方になると父の家へと向かい、クッチョロを紐に繋いで散歩に出かけることが日課となった。

 ジョジョは自分の気の赴くままに日々を過ごしていた。歴史的に考えれば、犬は人間と同居しながら、住まいを外敵から守ったり、畑の作物が他の野生動物からの被害にあわないよう見張り番もしていたに違いない。野生の猪が周辺の山々で増えるいっぽうのCassinoでは、夜になると活動する猪を吠えて追い払うのがジョジョの仕事だった。なのでジョジョは大概、夜中はほとんど目を覚ましていたのだと思う。ジョジョは忠犬ハチ公宜しく、気が向けば駅までの見送りもしてくれた。僕が電車で出掛けるときは、アパートから徒歩で40分程かけて駅に向かうのがほとんど常だった。ジョジョは月に一度程度、週末に一人でCassinoの中心街まで遊びに行く。平日と比べて慌ただしくないからであろう。とくに土曜日は街でマルシェがあるので、すたこら国道を横切って、3㎞離れた街までマルシェ見物に出かけていた。道中では顔見知りの知人から食事をご馳走になったり、ビスケットやらお水やら、ときには動物病院にまでお邪魔して、蚤取りの薬まで背中に塗ってもらったりもしていたそうだ。具合の良くない他の犬猫たちへの挨拶回りも兼ねていたかも知れない。何せ鼻が利く。マルシェでは顔見知りの人を見付ければ鼻先で相手のふくらはぎを突っついて、こんにちはと挨拶をして、意気揚々と街を巡回するのである。ときには恋犬募集中の雌犬との運命的出会いも期待しながら巡回していたことだろう。Cassinoでは時折ジョジョによく似た犬を見かけることがあった。僕が電車で出掛けるときは、駅までお互い徒歩で一緒に行って、僕は望むに電車に乗り込み、ジョジョはホームでお座りしながら僕の出発を見届け、そのあとはきっと街をしばらく散策して、のんびり帰宅していたようだ。

 ジョジョにとって僕はきっと友達だったのだと思う。駅まで付き添ってくれるのも、遊びがてらであって、ハチのように御主人様への忠誠からではなかった。だからジョジョは駅で僕を待ちわびるようなことはしなかった。