犬の系譜 其の六

 2月の病気発覚以来、ジョジョは定期的に動物病院で検査を受けることになっていた。病院へは僕が車で連れていくのだが、さすがに紐で繋がなければならないので、検査の日にはジョジョの両前脚にハーネスを装着する。首輪やハーネスを着けたことがないジョジョは、ハーネスを装着すると途端に恐怖に慄き、腰が抜けてその場にべったりと伏せてしまう。これを着けるときはお医者さんだと勘付くらしい。車まで連れていくにもジョジョはやっとのことでほふく前進が出来る程度で、尻尾も見事に地面に吸い付き、五つん這い状態である。但し、ジョジョはとても聞き分けの良い犬なので、車には素直に乗るのである。いやいやアピールも反抗的態度も全くしない。ほとんどナメクジのようにして車の助手席に乗り込むと、鼻を鳴らして「怖いよ怖いよ怖いよ怖いよ怖いよ怖いよ」を病院に到着するまでひたすら連発するのである。

車中の様子: https://www.instagram.com/reel/Cq-p3vUIGwl/?igsh=MXQ1YWRoZ284ZmwweQ==

 ヘモグロビン量の検査も含めて、改めて体内の病原虫量を調べてもらったところ、幸いにも病原虫のほとんどは駆逐されているとのことだった。しかし残念なことに、この寄生虫疾患は完治することが難しいそうで、一度罹患してしまったら、ほとんどの場合は一生涯投薬を続けなければならないと知らされた。正直、僕がいつまでジョジョのそばにいられるのかを考えると、僕にとってはそもそも仮住まいのCassinoだったわけで、この先、いつジョジョと離れてもおかしくはなかった。投薬作業を続けること自体は何の不安もなかったのだが、僕がしばらく留守にしたり、生活拠点としてのCassino を離れるような場合に、後々はジャンニの家族がジョジョの面倒を見てくれるだろうか、という心配が脳裏をよぎった。しかしそんな心配よりも当面はジョジョの健康が先決なのは確かだったので、とにかく以前の健康を取り戻すことを優先して、僕としては淡々と投薬作業を継続すること、その他は考えないことにした。

 投薬を続けることでジョジョは順調に回復していった。治療開始から二カ月を過ぎた頃には、朝のウインナーすら待たずに、僕の起床前にすでにどこかへお出かけするほどで、少なくない場合に帰宅も夕方になることがあった。病状の回復とは裏腹に、なんとなくジョジョの様子は不自然な気がした。何かに焚き付けられたように早朝から夕方まで、家を留守にすることが増えていった。そういう日はジョジョが帰宅したらなるべく早い時間に錠剤を飲ませるよう、夕食を与えることにした。何しろ朝の錠剤入りウインナーを与えていないうえに、リーシュマニア症は投薬の継続が健康維持の鍵である。幸いにも病原虫駆除薬のシロップは処方期間を完了していたので食事を二度に分ける必要はなくなっていたが、とにかく最低一日一度の食事は投薬の都合上必須だった。しかしながら何かに憑りつかれたかのように盲目的にお出掛けを繰り返すジョジョは、精神面での平衡感覚を失っているかのよう感じられてならなかった。リーシュマニア症が脳にまで炎症を及ぼしている可能性も疑ったが、調べる限りそういった記載は見つからなかった。病気によるストレスや不定期に現れる発熱症状などで、ジョジョは本能的に自身の生命に緊急事態が生じていると察知したのかも知れない。病気にかかる前はせいぜい月に一度くらいの街への散歩は、病気の治療を始めて二か月を過ぎた頃から、週に二回ほど、さらには2日や3日連続で、しまいには毎日のように一人街へと向かうようになっていった。いずれの場合も朝食前にはすでに出掛けていた。夕方まで帰宅しないのだから、どこで何をして、何を食べているのかも全く不明だった。ジョジョはとにかく狂ったように足繁く街に通うようになっていた。

 そんな中、僕は急用でトスカーナ地方のCarraraという街に行く用事が出来てしまった。パンデミックのあいだ中、休館していたCarrara市にある美術館が数年振りに運営再開の目途がつき、前年にオープンしていたらしいのだが、そこに収蔵されている僕の彫刻に何やら不具合があることが分かり、その実地調査のために僕は遥々Carraraを訪れた。4月14日の金曜日の朝、僕はCassino の駅を出発してCarraraへと向かった。Cassinoへの帰宅予定は16日の日曜夜だった。

 14日の朝、家主のジャンニにジョジョの三日分の薬を渡し、僕は駅へと向かった。今から19年前の2005年、僕は文化庁芸術家派遣員としてイタリアで暮らした経緯がある。その時の最初のひと月程を暮らしたのがCarraraの隣り街であるMassaだった。今でもその頃の友人がいる地域で、Carraraの美術館を訪ねる前に、僕はしばらく振りに旧友を訪ねることにしていた。そんな都合もあって、パンデミック以降、久々の外出は余裕をもって三日間の小旅行を計画したのだった。ジョジョのシロップ投与が完了していたことは、外出するにしても僕にとっては安心材料だった。

 友人達との久方振りの再開も果たし、美術館での作品視察も終え(残念ながら僕の作品の状態はすこぶる悪いものだったのだが)、無事に日曜日の夜にCassinoのアパートに帰宅できた。いつものように人が出入りする側の小さな門扉のロックを解除し、扉を開けて先ず真っ先にジョジョを呼んだ。また懲りずに街に出掛けていたかも知れないとはいえ、19時であればいくらジョジョでも夜間パトロールのために帰宅しているはずである。ところがジョジョの姿が見当たらない。僕は庭を突っ切って畑の方へとジョジョを探しに行った。突然、明かりの灯った納屋から家主のジャンニの声が聞こえた。「ジョジョはいないよ」と。「えっ?!」と僕は聞き返す。「轢かれちまった」ジャンニは納屋の中からそう言った。

 このところのジョジョの様子は確かにおかしかった。ほとんど夜明けとともに出掛け、帰宅も夕方遅くになるのが連日続いていた。すっかり体力が戻っている点は喜ばしいことだったが、リーシュマニア症は病原虫を完全に駆逐することがほとんど不可能な病気なので、投薬の継続は必須だった。さもなければジョジョの身体は再び寄生虫に侵されることになるのだ。他の犬や人との接触も危険になる。病気で弱っていたつい先月の頃のように、出来れば庭で一日中昼寝でもして過ごして欲しい、というのが僕の本音だった。だがしかし、毎日のように我を忘れて街に出掛ける近頃のジョジョにとって、いくら通い慣れた道中とはいえ、精神的な平衡感覚を失っているジョジョに国道の度重なる横断はリスクそのものだった。もしもジョジョが冷静な状態に戻れなければ、遅かれ早かれ事故に遭うことは避けられない、と秘かに心配していたのが、それにしたってこんなにも早くに、という現実を突きつけられたような気がした。そんな馬鹿な、という気持ちと、案の定、という諦観の狭間で、自分でも何故だかジャンニの言葉を疑うことはしなかった。