犬の系譜 其の八

 事故が起きたのは金曜日のマルシェだったらしい。国道ではなかった。天気の不安定だった先週、事故の起きた金曜日の昼過ぎ、突発的なにわか雨に見舞われたそうで、大きなワゴン車で店を広げるマルシェの店店は、半ドンの金曜日でちょうど店仕舞いの時間だったこともあってか、にわか雨を受けて慌てて店をたたんで帰り支度を始めたそうだ。ジョジョはもしかしたら雨を避けるためにマルシェのワゴン車の下で雨宿りしていたのかも知れない。目撃者によれば、マルシェのワゴン車の運転手は慌てて車を出したはずみでジョジョを轢いてしまったのだが、運転手自身もジョジョを轢いてしまったことに直ぐに気付いたにもかかわらず、どのみち助からないとでも考えたのか、轢いてしまったジョジョをそのまま放置して、その場から立ち去ったということだった。その後、ジョジョはどこかの誰かの手によってダンボール箱に入れられ、すでに助からないと判断されたのか、救命処置も何も無く、そのまま処分されてしまったようだった。轢かれた当初、ジョジョにまだ息があったのかは不明だが、Webの記事によれば、どなたかがもう助からないという判断を下したらしく、その後にどんな手順で処理されたのかは判明しなかった。その記事を寄稿した当人にも直接問い合わせてみたのだが、僕がマルシェの店主に仕返しを企んでいるとでも考えたのか、僕からの連絡に一切応じてくれなくなってしまった。数日の後、動物病院の先生は知人の伝手を頼って出来得る限りの情報を集めてくれた。ジョジョを轢いたのはマルシェの靴屋で、事件の起きた広場の場所、靴屋の店主の名前まで教えてくれた。

 何をしたところでジョジョはもう家には帰って来れないので、僕はその靴屋を探すことはしなかった。

 ジョジョは何に憑りつかれて連日のようにCassino の街へと出かけていたのか。お目当ての恋犬がいたのだろうか。仮にそうだったとしてもジョジョは一度種を仕込むことが出来れば、意気揚々と帰宅して、翌日にはいつも通りの平穏な日常に戻るのが常だった。体調を悪くして以降、なかなか恋犬募集中の雌犬と遭遇する機会はなく、精神的にも肉体的にもギリギリまで追い詰められていたのか。あるいはリーシュマニア症という疾患がジョジョの精神をも蝕んでしまったのか。実際のところはジョジョ本人にも分からないことかも知れない。ジョジョは一心不乱で他のことは何ひとつ目に入らないかのように、魔法に掛けられてしまったようだった。リーシュマニアからは生還できたのだが、運命からは逃れられなかったということか。

 放し飼いだったジョジョの生き方は、この御時世では時流にそぐわない身勝手なそれだったと判断されるのは仕方がない。しかし、ジョジョの、犬としての本能から言えば、ジョジョは犬の誠を貫いたのだろうと思う。人に飼われる犬として、ジョジョは自分の役割をしっかり果たしていた。ジャンニから躾を受けた訳でもなく、である。ジョジョを子供の時分から知っている僕としても、ジョジョは自分の役割に忠実に、誰からも指導されることなく、日々自分の役割を全うしていた。ジョジョが不慮の事故に遭ってしまったのは自由の代償と言えるかも知れない。しかしジョジョは犬として生まれたのであって、車のある便利な生活を選んだわけでもなければ、望んだわけでもない。それは我々人間一人ひとりにとっても同じことではあるのだが、僕ら人間はいくらでもルールの説明を聞くことが出来る。それに反して犬は、現代の生活様式を説明したところで事情を飲み込めるわけではない。ジョジョはジョジョなりに取り巻く世界の生活様式を読み取って、毎朝二度、国道を横切っていたのだ。ジョジョはそう世界に順応した。夜は猪や貂から被害を防ぐべく、見張りを怠ったことはなかった。案の定、ジョジョが居なくなってから、ジャンニの飼う鶏が野生の貂に襲撃されてしまった。

 ジョジョが亡くなってから、ちょうど五ヵ月、僕はCassinoを後にした。生活と制作活動の拠点をTorinoに移した。

 ジョジョが亡くなってしまってから、しばらくの間は庭に出てジョジョを探す癖が抜けなかった。ジョジョのリーシュマニア症の再発を危惧していた僕は、寄生虫の抑え込みにはとにかく抜かりの無いように気を付けていたから、投薬だけは欠かせたくなかった。どんな形にせよ、ジョジョを失ったことで、Cassinoにいる理由は何ひとつ無くなっていた。ジョジョの投薬用にたんまり仕入れていた犬用ウインナーは、ジャンニの飼いネコのミーシャが僕の家の玄関に訪ねてきて、食べるようになった。ミーシャは名前もあだ名もそのままミーシャである。数年前からジャンニの納屋に出入りするようになり、ジャンニが餌付けをして、今ではこの家の家族になっている。ミーシャは毎朝、僕の家の玄関前でジョジョがじっとお座り待機していたのを見ていて、ジョジョだけは何やら特別食を頂いているらしいと勘付いていた。ジョジョが家に帰らなくなって、ミーシャはいよいよ僕の家の玄関を早朝ノックするようになってしまった。猫も人間との共同生活は長い。歴史的には人間が収穫した穀物を横取りするネズミ退治が、猫の最も重要な仕事だったはずである。駅まで御主人様の見送りに出掛けることはしないが、猫は猫でそれなりに人間との関係や距離感を心得ている。ミーシャはとても寒がりで、元々ジョジョの寝室だった犬小屋をジョジョから乗っ取った。ジョジョはそれに対して全く批判的態度を取らず、自らどこか別のところに寝床を見つけて、ミーシャに寝室を譲っていた。本当に穏やかな気質の犬だった。

 Torinoのアパートを探し始めたのは6月からである。冷え性の僕にとっては寒い地域よりも温暖な地域で暮らしたいのが本音ではあったが、何よりもまず僕はイタリアに仕事をするためにやって来た。仕事のために生きているのか、と問われれば、正直、返答に困るが、今、イタリアにいる理由は紛いも無く仕事のためである。作品制作のためだ。Torinoは現在のイタリア共和国の前身となったイタリア王国の最初の首都であり、冬季五輪が開催された都市としても知られるが、イタリアの自動車産業において中心都市として発展し、特に自動車のエクステリアデザインにおいては世界でも有数のデザイナーが集結していた。ボディを製造する板金工房、いわゆるカロッツェリアも多かった。

 板金加工では数ミクロンの誤差も肌感覚で知覚できる職人さんが今も健在である。Cassinoではそもそも加工誤差は数ミリ単位以上であった。奇遇なことには、所属させてもらっている美術画廊がそもそもTorinoを拠点にしているということで、画廊のオーナーであるMazzoleniとは2017年のVeronaアートフェアで知り合い、直ぐに画廊の所属アーティストとして迎えてもらった。僕自身がTorinoの画廊を選んだわけではなく、イタリアのカロッツェリアに憧れていた僕がたまたま、その中心都市であるTorinoに仕事の縁を得ることが出来たわけだ。

 Torinoに賃貸アパートと、そこから目と鼻の先にアトリエも見つけたが、相変わらずの借家暮らしである。どこに行ってもやっぱり仮住まいであるのに変わりはない。犬は飼っていないし、その予定もない。アパートの上階には犬を飼われている住人もいらっしゃるが、個人的には例の責任問題で家族を増やすのは難しいと未だ感じているこの頃である。踏破すべき山の頂を具体的にいつも想像しながら、僕は今ここにいるわけではない。50歳にもなって相変わらずのひとり者、仮住まいのアパート暮らしでは蟻一匹すらも同居していない。幸いにも時間は移ろいゆくもので、固執しようがしまいが、このTorinoの生活もいつかは満期を迎えることだろう。命に生まれ変わりがあるとは考えないが、自分自身にとって終の棲家はやはり日本が合うように思う。言語に存在しないものは、そもそも価値として世の中に認知されていない、という見方があるが、僕はむしろ生きるうえで少なくない事柄が言語化できないと感じている。犬や猫を見ているだけでも、彼らが沢山の考えと想いを内に秘めていることは容易に見て取れた。言葉の有無は集団生活の利便性を高めるが、必ずしも生きる価値を左右するわけではない。幸せを左右するわけでもない。だから、知らないという事実を無闇に恐れる必要はない。本当に大切なことは教わる以前から我々は知っている。持っているのだ。