動物としてのヒト 1:投稿動画に見る動物たちの仕草

このところ、SNSに投稿されている愛らしい動物の動画をたびたび目にする。

それらの映像を見ていて驚くのは、動物たちの、人間のそれと見間違うほどの仕草や表情である。

具体的にこれこれこういう仕草、とは書けないが、とにかく、それまでぼくは、人間の仕草や振る舞いの多くを人間特有のものだと思い込んでいた。

もちろんSNSの投稿動画であるから、きわめて稀な、動物の仕草を運良く偶然とらえただけだったのかも知れないし、あるいはドラマティックに見えるような演出がされていたのかも知れない。

そしてぼくは、その演出された動画にまんまと乗せられてしまっているに過ぎない、ということは大いにあり得る話だ。

しかし、演出の如何に関らず、ぼくらの日常があまりにも自然動物の日常とは離れすぎてしまっているために、動物たちの自然の中での本来の日常を、我々が知らなすぎるのではないか、とも思えるのである。

とにかく僕はこれらの動画を見た後、人間らしさの象徴と思い込んでいた仕草や振る舞いは、じつは地球に生きるたくさんの生き物たちに当たり前に備わっていて、太古から綿々と受け継がれてきた行動、表現形態なのではないか、と自分の考えを改めはじめた。

 

この地球に生きる生物として、おそらくは唯一の、言語を使う生物であるわれわれ人間は、言語を使うというまさにその特徴から、他の動物群とは一線を画す生物と見なされやすい。

言語を操るというのはそれほどに際立った特質だ。

この人間特有の特質が、人間社会の中でとりわけ大きく価値づけられているように思うが、地球上の生物全体を大きく俯瞰してみた場合、他の全ての動物たちをあたかもほかのカテゴリーに振り分けてしまえるほどの偉大な特徴とまでは言えないのではないか、とこの頃思えてきたのである。

もちろん、この言語を使ったコミュニケーション能力は我々が考える通り、おそらくは地球上の生物の中では唯一無二のものであるとは思う。

しかし、言語能力とは別の、同じように唯一無二の特徴を有する生物だってたくさんたくさんいる筈なのだ。

そう言い切る、確固たる証拠があるわけではないのだが。

ぼくが感じるのは、宇宙が誕生しておよそ138億年、地球が誕生してからおよそ45億年、生物が誕生してからおよそ35億年、多細胞生物が誕生してからおよそ10億年、宇宙全体の歴史から見ると、地球上の生物であるという共通項がいかに長い歴史を持つものなのか、この大前提を忘れがちなのではないか、ということである。

われわれは“差異”を見ることには長けている。同様にして“同じ”ということを見分けることにも長けている。ただし、これまでわれわれ人間は、他の動物たちとヒトとの“同じ”にはあまり注目して来なかったのかも知れない。