前頭葉の話

人間が人間的であるためには、前頭葉の発達と成熟が不可欠であるそうだ。なるほど現代の人間社会での生活はありとあらゆる秩序とルール、暗黙の了解とアンチハラスメントで満たされている。前頭葉の発達が遅れている人や、不十分であったり未熟であると、都市社会では何かと生活しづらい。

SNSでもそれぞれの媒体にはそれ特有の暗黙のルールやマナーがあって、利用者は別の利用者に対して、ルール順守を無言要求する。全ての利用者が前頭葉の完熟した聖人であることを祈りたいところだが、ご存知のように人間の脳の広い部分は未だに前頭葉以外の部位であって、その広い部分のおかげで我々は動物として、あるいは生命体として生存できているのだ。前頭葉が全てではないのは云うまでもない。

人間と比較して、前頭葉の発達が極めて未成熟な犬や猫の動物たちが、この世界でおおらかに生きている姿を見ると、自分が人間であることの遣る瀬無さを感じてしまう。

僕は彫刻作品を制作することを生業としている。前頭葉が未成熟なおかげもあって一向うだつが上がらない。人間以外の動物に芸術作品を創造する習性をもった種は存在しないだろう。しかしだからと言って芸術作品の創造、そのモチベーションが人間の大きく発達した前頭葉からのみ発しているのかと問われれば、僕は簡単には同意できない。

ファンクショナルMRIを使って脳波実験でもすれば解明すると思われるかも知れないが、クリエイティブな発想や閃きというのはいつどの瞬間に脳内に発露しているのか、見極めること自体が限りなく困難だと思えるので、芸術が脳内のどの部位の恩恵によって生まれるのかは簡単には特定し難いだろう。

僕個人はむしろ、芸術行為は人間の動物的本能に限りなくその根源が見らるように感じている。そして前頭葉とのコネクションがカギを握っているだろうことは言うまでもない。

古代エジプトで建造されたギーザのピラミッドは人類史の中でも極めて謎の多いモニュメントである。あれだけの規模の建造物である、当時のギーザは最先端の文化が集まった先進都市であったろう。クフ王のお墓を構想して、実際に施行完成させた当時のエジプトの民は本当に仰天する。芸術の根源とはそのまま人類の源流とも言い換えられそうな、沢山の想いを湧き起こしてくれる偉大なモニュメントである。

ちなみに僕は限りなく現代社会の都市生活が苦手である。都市は僕にはいささか刺激的すぎる。