見えないもの

 2020年の初頭、日本の海上物流においては常に重要な地位を占めている横浜港に、大型クルーズ船“ダイヤモンド・プリンセス”が停泊していた。東南アジアと日本の主要都市を巡るクルーズ船として、香港から日本に向かう途中、香港で下船した乗客の1人が新型のウイルスに感染していたことが判明し、その連絡を受けた同船は横浜港で検疫を実施することに決めたからだ。

 日本人にとってはこのダイヤモンド・プリンセス号がCovid19の脅威を認識する決定的なトリガーとなり、瞬く間に世界中に拡散し、想像を絶する猛威を振るった感染症との長い攻防におけるプロローグとなった。Covid19はその感染力の強さと、単なる感冒の範疇を超える重篤な症状を引き起こす感染症として、我々を文字通り震撼させた。

 世界全体を一瞬にしてパンデミックに巻き込んだCovid19は、2020年当時では俄かに信じられないような、映画さながらの圧倒的な緊張と非日常をもたらし、世界中の人々のそれぞれの目の前に脅威的なスピードで現実に立ち現れた。

 この新型ウイルスの猛威と比較対象されたのが、第一次世界大戦中の1918年に発生したスペイン風邪である。

 列強の各国が戦時下だったために、正確な統計は出ていないものの、この感染症による死者数は一億人とも言われている。世界人口が当時、19億人ほどである。感染者数は五億人ともいわれ、感染力の強さは容易に想像できる。それからおよそ百年の後にCovid19が世界を震撼させた。

 Covid19は戦時下ではなかったために、世界中の医師や科学者が速やかに、献身的な対処に努めることが出来た。賛否はあるにしろ、Covid19に対抗するワクチンも迅速に製造され、ウイルスに拮抗させるべく、ワクチンも世界中に広く拡散された。

 しかしながらワクチンが登場するまでの期間は、感染爆発を防ぐために、外出は極力控えるように呼びかけられ、多くの国では実際にペナルティを課して外出を制限した。その中でリモートワークという新しい慣習が生まれたり、あるいは物理的な接触を避けるキャッシュレス決済も普及した。パンデミック後にはそれ以前にはなかった価値観や習慣が生まれ、世界保健機構によってパンデミックの解除が宣言された後の日常生活には、新しい慣習と価値が育っていた。それらは時間の洗礼を受けながら、消えていくもの、あるいは残るもの、それらを振り分けつつ、世界は現在も変容を続けている。

 スペイン風邪は、地上の歴史としては初めて世界規模の戦争となった第一次世界大戦の最中に広まったのだが、それ以前の大規模な戦争は、さらに百年ほど以前のナポレオンによる世界侵攻まで遡る。

 ナポレオンの革命運動はフランスからヨーロッパ諸国へと拡大したが、その威力は10年程度で失速した。ヨーロッパは当時、革命という大変革のために天才を求めていたが、ひとたび革命の波がヨーロッパ中に染み渡ると、今度は安寧を求め、天才は時代の要請から排除された。

 それから第一次世界大戦までのおよそ百年間、ヨーロッパの列強は世界各地に拡散し、それぞれの国は各々勢力拡大に努め、啓蒙思想や植民思想を基盤に世界中に勢力を拡大していった。その経過で個別的には植民支配の戦争も起こっていたが、敵対する国や地域は、大規模な闘争に特化した戦力、すなわち大量殺戮兵器を持たない民族ばかりだった。産業革命を経たヨーロッパの列強にとって、後進国の武力は、戦争戦力として取るに足らないものだったろう。列強を相手にまともに対峙できる民族は存在しなかった。

 植民地政策を繰り広げていたその当時の世界において、資源調達の土地の拡張は国力を強めるための絶対的な手段であり、列強のどの国にとっても急務な政策だった。第一次世界大戦に参加した列強のそれぞれにとって、列強同士でいざこざを起こしている場合ではないと考えていたのか、軍事国家間の外交がやや、ずさんだったのかも知れない。戦争が世界規模になることを誰も予測できていなかった。いわんや列強同士が相まみえるなどということは、起こる筈もないと高を括っていた。いずれの国も事態を甘く見ていたのだ。大戦のきっかけとなったサラエボ事件は、その規模として決して事態の収拾が不可能な事件ではなかった。その事件の知らせを受けたヨーロッパ各国の首脳たちはもちろん、一般の市民さえ、事態に収拾が付けられないなどとは夢にも思っていなかった。

 しかしながら人々の気持ちとは裏腹に、この火種は風に煽られ、瞬く間にヨーロッパ中を煙の渦に閉じ込めた。サラエボ事件を皮切りに、あるいはむしろそれ以前から積み重ねられてきた、国家間の様々な干渉のひとつひとつが、正確に、悲劇の方向へとヨーロッパを導いていた。それらの干渉のどれか一つでも、その道を逸れていたのなら、緊張の暴発を免れさせたかも知れなかったのだが。

 250年以上続いたウェストファリア体制はそれ自体に限界を孕んでいた。むしろ250年の間に各国が貯えた武力が、ウェストファリアを無力化してしまった。列強各国がお互いの武力でそれを証明する結果となった。

 停戦に至るまでに四年半を費やしてしまった第一次世界大戦において、使用された砲弾は13億発、死者は少なくとも二千万人と言われている。その大きすぎる犠牲から、アメリカが提案した国際連盟にヨーロッパの各国は加盟した。大規模戦争を二度と引き起こさないための、国家間の並列的な自衛手段としてである。

 対戦そのものの責任は、ヴェルサイユ条約として勝利した連合国側から敗戦国のドイツに課せられた。それは、もう二度とドイツに同じことを繰り返させないために課した制約であったのだが、同時に、連合国は戦争によって抱えることになった膨大な負債を埋め合わせる手段としても活用しようと計画した。

 ヴェルサイユ条約によって実際にはドイツ人の、市民一人ひとりの生活と彼らの感情は汚泥のように汚された。民族的誇りの復興はとても望めないほどに踏みにじられた。戦争を戦い抜いた元軍人だけにとどまらず、その家族も、生まれて来る子供たちまでにも非常に重い苦悩と屈辱を被せることになってしまった。戦勝国側からすれば、条約は危険因子を統制下に置くための手段であったのだが、4年半ものあいだ、ひたすら塹壕の中で死と病と飢えと硝煙にまみれ、劣悪極まりない状況と戦い、さらに新型感染症にまで襲われたドイツにとって、さらなる制裁に耐えうる精神力はもう残していなかった。

 戦勝国の制裁はほとんど虐待と言える状況だった。敗戦国に課された賠償金は莫大で、それを返済するためのほとんど唯一の要であったライン工業地帯は、滞る賠償金支払いの対抗策として、連合国によって占領されてしまう。賠償金を支払うにも資金を得る手段そのものまでもが奪われてしまったドイツ人は、サラエボでオーストリア皇太子夫妻が殺害された時と同じような、市井の恨みを募らせ、いつしか怒りを爆発させる機会を待つようになったのかも知れない。

 このヴェルサイユ条約では、サラエボ事件以前から積み重ねられていた国家間の干渉を帳消しにすることはできず、逆に、より大きな憎しみを敗戦国に植え付ける結果となった。

 世界は、無益な悲劇を繰り返すことがないように、お互いを律しようと試みたが、律した生活には次第に疲労が蓄積する。国際連盟の理念に対し、現実世界の混沌は不信で答えた。ドイツにとっては、ロジックで背負わされた負債を踏み倒せない理由も既に見つからなかった。敗戦国としての責任を自ら放棄して、独自の理想に邁進し始める。和平を維持するコストが、怒りを爆発させるコストよりも遥かに割高であることに、ドイツの民衆は気づいてしまうのだ。

 世界に不満と恨みを募らせていたヒトラーは、連合国に踏みにじられていた泥沼状態のドイツにおいて、民主主義の正当な手段によって国家の主導権を握った。一度はクーデターを起こすもそれに失敗し、今度は民主制の選挙によって自ら率いるナチスを第一党に押し上げた。見事なまでに民衆の信頼と希望を獲得したヒトラーは、時のヒンデンブルグ大統領から首相に任命されるに至った。民主主義の方法をもって合法的に権力を掌握した後は、プロイセンのフリードリッヒ大王が成し遂げた業績、すなわち偉大な国家の確立を再びドイツに取り戻すべく、優れた民族の興隆という目的に向かってひたすら快進撃を目指す。ヴェルサイユ条約の厳しい制圧の下にありながら、民衆を団結へと導き、秘密裏に軍隊を再構成し、軍備を増強して国民に再び武器を持たせ、敵対する国を襲撃させた。連合国によるあまりに無慈悲なヴェルサイユ条約の制裁は、敗戦国のドイツに到底払拭できない屈辱と怨憎を植え付けてしまった。爆発の時を待って静かにくすぶり続けていた危険な力は、ヨーロッパで再び暴発した。ヒトラー政権下のドイツはポーランド侵攻の後、フランスにも侵攻し、わずか一ヶ月でパリは陥落したのだった。

 権力の掌握を達成したにもかかわらず、皮肉なことにヒトラーは、フリードリッヒのような理念も知性も持ち合わせてはいなかった。恨みと怒りでかつての敵国を制圧するも、報復感情だけでは正しい政策は生まれず、拙く無謀な計画を企てることしかできなかった。ドイツに再び光を取り戻したのも束の間、投じる手段は敵国側の逆襲を煽り、戦況が敵国からの応戦へと移行すると、次第に彼の力不足が露呈し始めた。彼の行動は知性から逸脱した、場当たり的な政策に終始してしまう。

 彼が青年期を過ごした時代の情勢を振り返ると、第一次世界大戦以前、啓蒙思想と権力が結びついたヨーロッパは、20世紀初頭になって科学による新しい知識の探究に湧いていた。列強の植民地支配と並行して、支配階級は自然科学への好奇心を深めていた。そんな時勢にチャールズダーウィンがガラパゴス諸島から持ち帰った研究成果「種の起源」は、ダーウィンの本意とは裏腹に、誤った思想を生んでしまう。環境に適した種が生き残るという自然選択説が、種の優劣に基づくという優性思想と入れ替わり、ジェノサイド的思想を正当化させてしまう。多くのドイツ国民はそれを科学的知見として正当だとみなし、ドイツを泥沼の生活に追い込んだ敵の正体を、人種の優劣だと誤解した。守るべきは遺伝形質だと信じ切った。あるいはその道以外に自らの救済は無いと信じたのかも知れない。

 人は元来無知なのであって、常に過ちの危険の上を綱渡りをしている。そして、過ちのたびに多くの犠牲を払い、進路を修正してきたが、完全無欠な正解を見つけられるほど世界は狭くなく、一様に統率できるほど人類は単純ではなく、過ちを永遠に記憶できるほど、人類にとって時間は容易く扱える要素ではない。これらの事実は、我々が生活する現代社会においても、常にどこかに過ちを包含していることを示唆し、人知れず押さえつけられている屈辱は、いつもどこかで身を隠しながら、力として常にくすぶっていることを裏付けさえする。

 大昔、世界に人権は存在しなかった。人は、弱ければ虐げられ、敵対すれば命さえ奪われた。土地を占領する者が生きる権利を独占し、占領される者は、家畜が労働を課せられるように地べたを這いつくばって働かされた。

 鶏を売買するのと同じように人を買うことが出来た。役に立たなければ、家畜のように屠られた。奴隷に権利があるなどと、誰も信じなかったし、そんな発想すらも無かった。

 そんな世界にも、いつしか倫理を説く者が現れ、教えを説き、人々を導いた。それに賛同した者たちが長い年月をかけて少しづつ世界をより善き方へと指導し、宗教を生み、人権を育て、国家同士には尊重と権利、そして自制を求めた。人権という言葉が存在していなかった時代に、それを発想し、その理念を広めた人の功績はどれほど尊いだろう。

 今ある世界は、実は長い長い人類の流血の上に成り立っていると言って決して過言ではない。もしも彼らの流血が無かったのなら、いま、我々が自らの血を流して闘っていなければならないはずなのだ。現在、我々がとにかくも平穏に生活できていることは、過去の人間がそれを強く望んで闘ったからなのだ、という事実を、それを享受する我々は意識的でなければならないと思う。そしてもうひとつ、今ある世界が社会の完成形では決してない、ということも自覚的でなければならない。目指すべき理想が見えないのは、慣習に溺れて無自覚に諦めの中に埋没しているからだ。

 百年前に、一人の青年テロリストが起こした事件が、後に二千万人の死者を出す大戦争を引き起こした。くすぶる力はいつでも、今このときにも爆発のタイミングを待っていることを、我々は他人事として打ち遣ってはならない。

 どうにかしてくすぶる力を希望に変えなければと思うのだが、それもまた一筋縄では到底行かない。

 国家同士の干渉や争いは、人と人とのそれに良く似ている。むしろほとんど同じと言えるかもしれない。人は成熟するにつれ、他者との関わり方を学ぶが、国家も同じくして、経験をもとに成熟し、やがてその寿命は尽きていく。

 ポンペイという古代都市が山の麓に生々しい遺跡を残して消滅したのは、当時の民衆が火山の力を甘く見ていたからである。むしろヴェスヴィオが活火山であったことすら寝耳に水で、民衆は噴火することすら知らなかったのかも知れない。当時の民衆を浅はかだと論ずるのは簡単だが、世の中の事象は何でも予期できるわけではない。地上を席捲した恐竜だって絶滅してしまった。我々生命体は優れた機構を有してはいるが、どの生命も決して完全体ではない。

 ポンペイの民衆も危険を予め把握していたならば、そこに都市を建設することを躊躇ったであろうが、人が予期するにはあまりにも噴火のサイクルが長すぎた。人知を超えている、というよりはむしろ我々の肉体的限界という弱点を突かれた。数十年の寿命しか持たない我々が、数千年後の我々に正確な情報と正しい知恵を届けることは今のところ実現できていない。

 2011年に起きた東日本大震災にも同様のことが指摘できるかも知れない。自然の威力は想像の範疇を大きく超えていたが、人がそれを全く知らないわけではない。ポンペイの火山も、東日本の大地震も、地球の地殻運動によるものだ。見えないところで力はくすぶり続け、破裂する機会を今もどこかで伺っている。過去の人々はそれを知っていたが、その知見が必ずしも後世にしっかり伝わっているという保証はない。

 第一次世界大戦で、全ての戦争参加国が甚大な被害と、経済的損失を被った。その一方で、得られた成果があまりにも乏しかったという経験から、連合国側は国際連盟を組織したが、ウェストファリアと同様、国際連盟は次の大戦を防ぐことができなかった。その反省を踏まえて、第二次世界戦後、連合国側は国際連合を新たに組織して、世界の平和維持を改めて推し進めた。

 2026年、国際連合の本部があるアメリカは、その国連を無視して、ヴェネズエラの大統領夫妻を拘束拉致した。それを実現した背景に、ヴェネズエラでは数百人の人命が犠牲になったとされている。そのおよそ3か月後には、中東のイランに対して、アメリカはまたしても各国との協調を無視して軍事攻撃を開始し、独自の判断で事実上の戦争に突入した。

 パンデミックから話を始めたのは、このためである。

 概して人は自分自身を信頼しきってはいない。誰もが少なからず、人生の中で自己を過信し過ぎて痛い目に会っているからである。にもかかわらず、誰もが自分だけは例外であると信じている節がある。災厄が降りかかるのは過去の人類だけであり、遠い貧しい国々だけであると高を括る。千年に一度の天災が明日、この場所に降りかかるとは微塵も考えないし、百年に一度の混乱が自分の国に巻き起こるということも信じていない。自分はウクライナ人でもなければイラン人でもない。彼らの身の上に起きていることは地理的にも精神的にも隔絶しているし、自分の運命は彼らのものとは違う、とどこかで信じている。

 しかしながらいつでも人は簡単に間違えるし、人類はその全体性を伴って過ちを犯す。謂れの無い災厄は、いつどんな時にでも自分とあなたに降りかかる用意がある。そしてそれは誰にも判断できない。

 人は自ら定めた正義を方法論として設定し、いつからかそれ自体に縛られ、その維持に困窮し、そして自ら破壊を余儀なくする。いつかは変革を遂げなければならない慣習に、人はどうしても見切りをつけることが出来ずにしがみつく。人々は困惑し、築き上げた財産を犠牲にしてもなお、財産を築き上げたときの方法を信じて疑わない。世界は無慈悲とも思える災害を定期的に繰り返し、人類は無慈悲な人災を定期的に繰り返す。そして人はいつもその両方を忘れる。

 だからと言って人類がそれらの災いに無抵抗だったわけではない、というのはこれまでの流れのとおりである。人類は災いに対して、手をこまねいて沈黙していたわけではない。自らの血を流して人権を獲得し、さらには流血だけが事態を解決するわけではということも理解し、今もなお、より善い在り方を模索している。人類の歴史は地理的な開拓の歴史と言い換えられるが、精神においても同様に、未来を切り開く願望と実践によって開拓され、人類の智慧の歴史はそこを拠り所としてきた。この二つの開拓の上に人類の歴史は成立している。

 地理的な開拓が地上ではほとんど行き渡ってしまって飽和状態にある現代で、精神性の開拓に前進はあるのか。それは信じるより先に、実行しなければならないミッションなのだと僕は思っている。