フィルムで撮影する
2024年の4月の末に、僕は一台のフィルムカメラボディと、レンズを購入した。
カメラ機材の専門店に行けば、昨今のデジタルカメラだけではなく、中古品のフィルムカメラが今でも簡単に見つけられる。僕自身がフィルムカメラを最後に使ったのは確か2001年頃までだった。その後は、コンパクトなデジタルカメラに移行してしまって、それ以降、23年間ものあいだ、フィルムカメラを使ってこなかった。このブランクではさすがに程度の良い中古フィルムカメラを選ぶ眼など、僕にはもう持ち合わせがなかった。
大学生の頃はOlympus OM-1というマニュアル操作のカメラを使っていたのだが、そのボディも、装着されていたレンズも、父親が使っていたものの御下がりで、自分で汗水流して働いて、身銭を購入資金に充てて手に入れたものではない。たしか、一人旅行に出掛ける際に、せっかくだから写真を撮りたいと考えたのだと思う。それまでは、旅行と言えば家族と行くものだった。父がカメラ好きだったこともあって、必然的に旅行の写真は父が全て担っていたし、僕たち家族はそれで何も異論はなかった。家計のがまぐちを握っている母から毎月与えられるお小遣いを貯めて、父は定期的に、というより忘れた頃に、新しいカメラ機材を購入していた。決して高くはない小遣いだったのだろうと思うが、機材を入れ替えるときのしれっと感と、そのあとに家族全員にいじられる姿を今でも想い出す。新しい機材を手に入れると、晩酌の時に空シャッターの音を響かせるのが父の習わしだった。父はカメラいじりと写真撮影を趣味にしていた。
OM-1を父が僕にすんなり与えてくれたのは、僕が大学を卒業して、晴れて子供二人の養育費から解放された父が、それをきっかけに、憧れだったNikonのフラッグシップカメラを新品で手に入れたからである。僕の兄が25歳だったから、つまりは父の25年に渡る苦行の末、ということである。Nikonは当時、世界中のプロカメラマンから最も信頼されていたカメラブランドだった。そして父は古い、Nikonのフラッグシップに比べればだいぶ格下のOlympusを僕に譲ってくれたのだ。
しかしながら肝心のカメラの操作に関しては、父から教わったことはほとんど何も無かった。父はとにかくどんな状況でも撮れるようなセッティングに設定して、そのまま機材を僕に渡してくれた。だから僕は、二、三の注意点さえ守っていれば大体において撮影することが出来ていた。結局僕は、マニュアルカメラの機構はもちろん、それぞれの機能や役割、撮影のコツなど何も教わらないまま、オートフォーカスを搭載したレンズ一体型のコンパクトカメラに移行し、さらにその数年後に登場した同型カメラのデジタル版に移行してしまった。OM-1、つまりマニュアル操作の一眼レフ機を使ったのはたったの一年程度だったと思う。そんな自分だから、いざフィルムカメラを一から始めようとなったとき、中古品の機材ではどうにも心許なかった。その機材に不調があるのかどうかさえ、僕には判断がつけられないことを、自分でよく認識していたというわけだ。
例えば撮影で肝心なシャッタースピードだって、その中古のカメラのシャッター膜が、ダイヤルが示している1/1000秒の速さで本当に動作しているのか、シャッター音を聴いても、出来上がった写真を見ても、僕には判断できないだろう。ファインダーを覗いてピントを合わせてシャッターを切る。しかし現像した写真のほうはピントがぼやけていたとする。僕にはどこに原因があるのか、見当をつけられない。しかしもしも新品の出来立てホヤホヤのカメラであれば、そういう不具合のまったく無い状態からスタートできるわけで、せめて最初の一~二年くらいなら不具合の無い、万全な状態で使用できるのではないかと考えた。
レンズに関しても同じである。古き良きレンズ、というのものが存在するのはうわさに聞いていたが、レンズというのはカメラボディと同等にデリケイトなもので、レンズ一本の中には複数のレンズがきっちりと組み立てられており、それぞれが正確な位置に収まっていなければ、設計上の描写精度は出せない、筈である。一枚一枚のレンズの表面にはコーティングが施されていて、それは残念ながら経年劣化してしまう。しかもレンズはガラスと金属で造られたものがほとんどなので、熱伝導が殊のほか良い。寒いときは冷たくなるし、暑いときにはじんわり熱くなる。レンズの中に閉じ込められている空気は、フォーカシングや絞り操作の際に僅かに出入りしてしまうので、当然ながらレンズ内の湿度は外気のそれと同レベルである。熱いところから寒いところ、またその逆をカメラを持ちながら移動すると、レンズの内側に結露が生じてしまう。一旦、水滴が出来てしまうとそれがレンズのコーティングを傷めたり、黴を呼んでしまう。コーティングはレンズの曇りや黴の巣になるので、中古レンズはガラス面の傷はもちろん、レンズ内の状態にも気を付けなければならない。撮影した写真の色合いが悪い場合に、フィルムの特性なのか、レンズのコーティングの劣化やガラス自体の曇りによるものなのか、そのレンズの新品状態での写りを知っている者にしか判断できない、というジレンマがある。そういう理由で、どうしてもカメラ一式を新品で揃える必要が僕にはあった。
そして意外なことに、趣味や遊びが目的で販売されているフィルムカメラは現在でもいくつか存在するものの、撮影したものが作品としても成立できるレヴェルの写真が撮れる上質なアナログカメラは、2025年において世界で一社しか製造していない。それはドイツのLeica社である。Leicaは今もなお、プロでも使用できるフィルムカメラ機材を製造販売しているブランドである。OlympusでもNikonでもなく、最近急激にシェアを伸ばしているSonyでもない。幼少から日本製のカメラを傍らに見て育った僕にとってはなんとなく不思議な気持ちがする。OlympusもNikonも、アナログ機の製造は随分以前にやめてしまった。Sonyはデジタルカメラの黎明期に、カメラメーカーとして確固とした地位を確立していたMinoltaを買収して、デジタルカメラの世界に参入した新参ブランドである。8ミリのハンディカムでは世界を席巻していたから、そこからスチールとムービーの両方に守備範囲を広げたのだ。ちなみにMinoltaはフラッグシップ機αシリーズが有名で、Sonyのミラーレスカメラにそのαの称号は引き継がれている。
Minolta α7700というモデルは、ドイツ人のプロダクトデザイナーであるHans Muthによって設計されたもので、そのスタイルは一眼レフカメラの新常識を生み出す画期的なデザインだった。Muthのアイデアは現在の一眼デジタルカメラにもおおよそ踏襲されている。Nikonはイタリア人デザイナーのGiorgetto Giugiaroと協働してフラッグシップ機F3をすでに市場に投入していた。日本製のカメラは最先端のプロダクトデザインを纏って、世界のカメラ市場を席巻し始めていた。世界中のプロのフォトグラファから日本のカメラは信頼されていた。
2025年、とにかくも新品のアナログカメラを使って2年弱が経過したが、今では僕も中古のカメラを使うことも出来るだろうと思う。カメラの操作もカラーネガフィルムの現像も、大分馴れ、理解も深まった。
ところでそもそも、僕が何故、フィルムカメラで撮影を始めたのか。その動機は実は、自分自身でも明確には自覚できていない。アナログ機材購入の前年にTorinoに移住し、この街の雰囲気がとても気に入ったことは大きなきっかけの一つである。素直に、Torinoの街の風景を撮影することは僕の気分を高揚させた。一方で自分の制作した彫刻の撮影は一貫してデジタルカメラを使っており、それはアナログカメラを購入した今でも変わらない。最新のデジタルカメラの性能と描写力は文字通り驚愕に値する素晴らしさがある。解像能力はもちろん、あらゆる環境でほとんど正確な色味を再現できる。フィルムとなるとそうはいかない。太陽光と室内の電灯の光では、光の質が全く異なるが、フィルムは現実にある色味に正直に反映される傾向があって、人間が肉眼で視ている色の世界とはやや雰囲気が異なる。
太陽光だけであったとしても、晴天の日と、曇りの日と、雨の日と、それぞれに異なる色味をフィルムは映し出す。実際は異なる色味であることが、物理的には正解だといえるが、我々は眼から得た色情報を、一旦脳を経由して認識するため、その過程で脳が色味や明るさを自動で補正する。瞳孔を調整したり、曇りや雨の日でも全体の色調をニュートラルに感じさせる、ある意味では“錯覚”を生成する。日常生活において我々は通常、肉眼視で補正後の色味を認識するわけである。フィルムにはその自動補正能力は無いので、物理的にはより正確な色味を記録するが、昨今のデジタルカメラはオートホワイトバランスという機能によって、我々の脳とよく似た色補正ができるのである。
季節によって太陽の高さが変われば、光の角度も変わる。光の角度が変わると街の色も変化し、フィルムはその変化をそのまま映し出すが、デジタルカメラのオートホワイトバランスでは、人間の肉眼視の雰囲気に寄せて補正することが出来る。そして曇り空でもそれなりに鮮やかな色彩を写真の中に表現させることが出来る。さらに昨今のデジタル機専用の高性能なレンズは、被写体のディテールを極めて繊細に、正確に、あるいは現実以上に魅惑的に描写する。それは光学設計がコンピューターによってより正確に、より高度に設計することが可能になったためであり、材料工学や加工技術の進歩も伴って、これまで両立は難しいとされてきたレンズの大口径化と高解像化が、技術的に克服できる課題となり、一昔前よりも描写性能は格段に向上した。大きな口径は被写界深度を剃刀のように薄くできるし、解像力の高さは、被写体の輪郭をきわめて細くシャープに捉え、写真に立体感とリアリティを演出する。
デジタルカメラの描写は、我々が肉眼で視る世界の様子をほとんどそっくりに映し出すことが出来る上に、望めばより魅惑的な演出を加算することさえ出来る。それに反して、フィルムカメラは人間の脳が持つ補正能力のような柔軟性は持たない。時として、あるいは多くの場合、フィルムに表現される色合いやディテールは、我々が肉眼で視る世界像とは僅かにズレのある、ある種の馴染みの無い雰囲気を纏うこともある。
フィルムはそもそもフィルム面に塗布された感光乳剤に、光を照射して、光の三原色であるRGBを記録し、その後、現像液と化学反応させることで、色の三原色であるCMYに変換して色を再現するのである。感光乳剤も現像液も無限の色幅を持つものではないので、フィルム特有の色味に限定されることになる。しかしそれが、ホルマリンに付けられた標本のように、流転する時間を窒息させて固定するかのような、ある種の生々しさを想起させる。僕にとってはそれが、次元の無い空間に置き忘れた個人的記憶と、相性良く重なり合うのである。
フィルムに現れる世界の色合いは、自分自身が長年慣れ親しんできた、脳の自動色補正によって得られる僕個人の視界とは別の、あるいは第三者的な立場を通り越した、誰のものでもない視点を想像させる。それを神の視点と呼ぶことはしないが、それでもフィルムの色は撮影者の視点に匿名性を与えてくれるように僕には感じられる。
それらのことと入れ違うように、僕自身はデジタルカメラが得意とする描写の美しさに、何か余分なものを感じ始めた。僕にとっての世界の美しさとは、必ずしも被写体のディテールや発色のコンディション如何ではなく、もう少しベクトルの違ったものだと気が付いた。それは眼前の世界があたかも複数の時間の流れの中で、それらが時折重なり合う状態、時間と時間の組み合わせの中に見出される物語に、より興味を抱いたからなのだ。そんな刹那な世界を写真の中で物語る場合に、美しい演出は必ずしも要求される要素だとは感じなくなった。
デジタルカメラを使って受ける印象は、美しい世界を描写するというよりもむしろ、カメラの性能が世界の様子を美しく演出しているかの如くに感じられる、と言い換えても良いかも知れない。もちろん美しく演出することが間違っているわけではない。人間はそもそも自己の演出を得意とするし、それこそが社会の中に生きる人間の生存戦略ですらある。単純に僕の興味が一時、デジタルの高性能から遠退いた、というだけのことである。
そしてもうひとつ、非常に大きな動機になったのは、昨今のデジタルカメラの、いわゆるCapitalismとの親和性である。つまり、日常生活の中に見られる家電製品と同様に、工業製品としてのカメラは、ある時をもって壊れなければならず、買い替えを余儀なくされる。それはひとえに、生産者側の都合により、カメラメーカーは自社工場を運営せねばならず、社員の生活を保障しなければならず、その結果カメラをいつも生産し続けなければならない。工場を休ませてはならないのだ。そうするとカメラのユーザーに、定期的にカメラを交換していただかなければならない。だが僕は、50歳を迎える年に、自分と一緒に年齢を重ねられるカメラを一つ持って、そのカメラでこれからずっと写真を撮り続けられたら、と考えたのだ。
そしてこれはフィルムを使い始めて理解したことだが、フィルムに映し出される世界は、晴れに日も、曇りの日も、それを隠さずに表現してくれることはもちろん、僕自身のその日の体調や集中力に至るまで、写真の中に証拠として残してくれる。より生々しく、そこには温度に似たものが感じられる。もちろん描写力はデジタルのそれには遠く及ばないし、取り扱いも面倒で、しかもデジタルデータと違って、フィルムという素材が嵩張り増える一方で、管理に困る、という問題もある。しかし、便利だから良く、不便だから悪い、というのはそれだけでかなり貧しい価値観だと、僕は秘かに、他人にはなるべく気づかれないように信じ続けている。
当然、フィルムを必要とするアナログカメラにはデメリットも多い。そもそもフィルムという素材自体が時代遅れであるだけでなく、2025年現在において、製造メーカーを世界中を見渡してもほんの僅かな小規模のメーカーに限られる。そして、フィルムは撮影後に現像という過程を経て、初めて撮影した画像を実際に目に出来るようになるわけだが、その行程には数種類の薬品が使われ、それらは環境を汚染するような薬品であり濃度である。僕自身も現像に使う数種の薬液の処理には頭を抱えている。現在のクオリティで撮影し現像できるのも、きっと時間の問題なのだろう。
デジタルと違って、アナログカメラの強みは、いつでもどんな瞬間でも次のショットのためにフィルムを巻いていさえおけば、シャッターを切るだけで撮影ができる。電源をONにする手間も無いし、ONにしたままバッテリーの残量を気にしつつ、待機状態を維持しなければならないわけでもない。しかもファインダーから覗いて見える世界は、同じ時間を共有している現象がそのまま見えるのである。当たり前のようだが、実は昨今のミラーレスデジタルカメラでは、ファインダーの中に観える画像はほんの僅か、一瞬のタイムラグがあるのである。なぜならファインダーの中身もデジタル映像で、カメラボディの中でいわゆる生中継放送をしているのである。しかしライブ放送は必ずタイムラグを発生するもので、カメラとして撮影する場合、実際のシャッターチャンスは一瞬前に過ぎているわけだから、撮影者はほんの一瞬、先行してシャッターを切らなければならないという神業を取得しなければならない。デジタルカメラは便利ではあるが、意外なところで弱点を持っているのである。
カメラの基本的な操作や上達のコツは、ほとんどインターネットの情報から得たもので学んだ。数冊の書籍からも重要な事を学んだが、とにかくインターネットに溢れている情報のおかげで、僕は師匠を持つことも無く、どこかの写真家に弟子入りしてアシスタントとして修業を重ねることもなく、自分の思うままに撮影に勤しんでいる。
偶然ではあるものの、僕はこれまで師匠を持ったことがなかった。幼少の頃は絵を描くのが好きで、毎日毎日、白い紙に絵を描いて過ごしたが、どこかの絵描きに習ったわけではなく、巷に散見する上手な絵を見ながら真似したり、それらを参考にしながら技術を上達させた。彫刻にしても、初めて作品と言えるようなものを作ったのは大学生の卒業間近の時期である。今から30年ほど前であるが、デザイナーを夢見ていた僕は、彫刻を作るという発想すらも無かった。大学に入って初めて彫刻という、何とも魅惑的な表現法を知り、興味を持つようにはなったのだが、作品として制作する、そのきっかけも動機も、僕には湧いて来なかった。作ろうという動機を得たのは大学の卒業間近だったというわけである。
芸術の世界では古くから徒弟制度があったし、絵画や彫刻のみならず、音楽や舞踏、演劇、武道に至るまで、師匠と弟子という関係の中で文化と伝統は育まれ、受け継がれ、さらに新しい表現が生まれてきた。一子相伝という言葉があるが、受け継ぐ、という行為は人類にとってかけがえのない生存戦略であり、文化である。
師匠を持たないというのは、自由である替わりに、歩むべき道をなかなか見出しづらい。ある程度の難易度を持った登山に挑む際に、長年にわたって使われ続けている登山道を使うのは当たり前だが、辿るべきそのルートを全く知らないままに登山に挑むのは、間抜けを通り越して、やや危険ですらある。ただ幸いなことに、彫刻家になるという道は、険しい急峻を命懸けで登るわけではない。登山というよりはむしろ、大昔のホモサピエンスが長い年月をかけて未踏の地を進み続けて、最終的にアフリカからパタゴニアまで辿り着いた、その巡業と似ているかも知れない。師匠に恵まれなかったとして、それが必ずしも行く手を阻む要因とはならないのだ。師匠を持たない、つまりルートを知らないという状況を逆手に取ればよい。そしてさらに付け加えれば、太古のホモサピエンスのように、その行路の末に未踏の地を開拓したとして、そこに辿り着いた自身の状態に必然と納得を得られるのならば、具体的な目標地点すら設けなくとも良いのだ。
例えば僕は芸術家を目指すうえで、農作業に従事したこともあった。それは人として真っ当な感性を身に付けないことには真っ当なアイデアも、社会に対する全うな疑問も持ちようがない、と考えたからである。学生時代は毎週のように美術館の展覧会に足を運んで知見を深めようと努力したが、田舎に引っ越してアトリエを持ってからは、ひたすら農作業に没頭し、その知識と技術を深めようと努めた。最終的には全て手作業で1.000平米を超える田んぼからおよそ600キロのお米を自分一人の作業で収穫できた。数千年に渡って日本人が守ってきたコメの栽培を実際に自分で工夫しながら実践できたのは幸運だった。農業から美しい幾何学的な構造を発想する、という様な直接的なヒントは得られないが、一日の仕事を終え、休み、翌朝、また田んぼに向かう。毎日毎日、ほんの少しづつ、しかし確実に姿を変えていく稲と田んぼ。そこでその時に必要とされることを問い、実践していく。秋に稲穂が金色に輝く時期までそれを毎日続けること。日本人が数千年来続けてきた生活方法には、本やネットでは学ぶことが出来ない生きることへの動機が、添加物なしに凝縮されているのを知った。
そうやって僕は一人、明確な目標地点を定めずに、彫刻を制作しながらイタリアに来てしまった。そして今、道標も無いままに、写真撮影を始めている。
Torinoの街を定点観測するが如くに、定期的に撮影することは僕自身に、何とも説明のつかない、ある種の心地良い気分を自らの内側に醸成していることを知った。このことも実際に写真を撮り初めて気付かされたものだ。撮影する前までは、そんな気分になることを求めてカメラに手を出したわけではなかった。その気分はひとえに、生きていることの悦びなのだろうと思う。もちろんそれは自分一人の成果ではなく、たとえ見ず知らずの人々との行き違いであっても、何かを通わせ、交換することが出来ることの実感から由来するものなのだろう。
毎週毎週、ほとんど同じルートを辿る撮影だが、移動の範囲が限定されている代わりに、時間の軸を縦に重ねて行ける。そしてその街を知れば知るほど、自分自身の内側で、その場所を掘り下げて、時間軸を縦に潜り込むことすらできるようになる。縦軸の移動は状況を俯瞰する視点の獲得につながるし、ものごとを掘り下げて再考するにもまた有利である。
人はよく、ヴァカンスに出掛けるが、人類は元々、何万年も狩猟採集して生き延びてきた。人類が定住を始めたきっかけは、きっと管理しなければならない畑や、家畜の存在のためだったのだ。責任をもってそれらを管理することで、家族や部族を守ってゆくことと引き換えに、人はひとつの場所に定住することにした。つまり旅することを諦めたのだ。
だが本来、人類は数万年の間、旅をしながらサヴァイヴしてきた。ストレスから解放されるためにヴァカンスに出掛けるというのは、もしかしたら単なる言い訳に過ぎず、人はそもそも歩いて、違う景色を見ることを糧として生きて来たのかも知れない。現代社会では目標地点を明確に定めて、時間内に到達することを最良のミッションと解釈しがちだが、それをどこまで突き詰めても、想定の範囲内におさまる現象に結局は落ち着いてしまう。見たこと聞いたことも無い場所に到達しようと思ったら、目標に据えることすらも能わない、というのは知っておいた方が良い。
ヴァカンスが必要なのは、日々の仕事がストレスフルなだけではない。そもそも我々は地球の表面を常に横移動することで初めて生と共にいられる種族なのかも知れないのだ。
今の僕にとって撮影が心地よく感じられるのは、もしかしたら長い距離を横軸に移動することよりも、撮影を通して時間軸を縦に移動する旅のほうが、より素直に今のこの生を費やす手段になっているのかも知れない。
僕にとっては喉が渇き覚えるのとほとんど同じ感覚で、フィルムカメラを手にした。50歳を過ぎて、小学生時代の僕自身よりも口座に残っている貯金額が少なくなってしまったことに気付いたのは、カメラを手にした翌年だったが、次から次へと出費を強いられるのをあらかじめ知っていたならば、僕は喉の渇きを何か別の詰まらないもので紛らわしていたのかも知れない。

