能力汚染
もしもこの世界を二つの要素に分けるとしたら、まず思いつくのは自然と人工の振り分けである。そして昨今、世界をカテゴライズするときにとても区別しやすい新たな要素がその勢いを伸ばしている。人工知能である。
世界はだんだんと三つに分けられようとしている。自然と、人工と、人工知能と。
世界に宇宙が誕生し、その宇宙に地球という惑星が誕生し、その惑星に生命が誕生した。生命の長い長い進化を経て、ホモサピエンスが地上に現れたのはおよそ20万年前と言われている。それまでにもいろいろな人類が地上に生存していたようだが、我々とは遺伝子の異なる別の人種だったそうで、彼らは皆揃って、種としては遠い過去に消滅してしまった。現生人類は我々と同じ遺伝子を持つ直系の祖先、ホモサピエンスの生き残り人種である。彼らは長い長い期間を狩猟採集で生活した。そして今から数千年前、彼らの新しい発想と知恵とで、徐々に農耕と牧畜を始めた。長い人類の歴史を一年間の歩みに例えて俯瞰すれば、農耕牧畜の開始は一年の内でおよそ12月も半ばを過ぎてから、というほど終盤のスタートである。農耕牧畜は地味ではあるが人類に圧倒的な革命をもたらした。これによって地上に繁栄した人類はその有り余る労働力と、有意義な使い道を見つけられなかった空想力と知恵で、産業革命を実現することになる。今からおよそ250年前のことだ。人類の歴史から換算すると、一年間における大晦日のお昼前くらいのタイミングである。深夜零時に除夜の鐘を突くとすれば、その鐘をついているのが即ち現在の今である。産業革命はつい先程のことなのだ。
そして今、除夜の鐘を突き始めたる寸前に人工知能が台頭してきた。思いも寄らない論客に世界がにわかに困惑している。農耕と牧畜だけでは世界そのものを作り変えるまでのインパクトは無かったにせよ、人口の急激な増加とそれに伴う社会の拡大は著しかった。そして大晦日の昼頃にスタートした産業革命は瞬く間に世界中に拡散し、その影響力は地上の気象の在り様に変化を加えるほどであった。大晦日の、たったの半日で地球全体に気候変動を引き起こすほどの影響を与えた産業の発展は、人間社会の構築を物質的に支え、あっという間にあらゆる営みの重要な担い手になってしまった。産業革命によって化石エネルギーの利用を発見し、あらゆる活動を機械化することにも成功した。しかし化石燃料の利用は地球の大気のバランスを大きく変動させるほど、圧倒的な影響力を内在させていることに気付いたのは除夜の鐘を鳴らし始めるわずか一時間前くらいのことらしい。
宇宙全体も我々の地球も、時間と共に変化する不可逆性の運動の只中にある。すべてが一過性のこの運動の中で、世界は過去を再通過することはできない。
宇宙の始まりとされるビッグバンが起きたのがおよそ138億年前、太陽系が誕生してその太陽を周回する地球が誕生したのがおよそ45億年前、人類が産業革命によって得た生産能力と、その反動で引き起こされた気候変動はわずか100年程度のことである。宇宙全体を俯瞰すれば地球の、しかもその表面の薄い膜の僅かなコンディションの変化などは、文字通り取るに足らない事象であるが、その極めて微細な変化が地上の生命活動に影響をもたらしている。我々がどんなに微小な存在でデリケートな生き物であるかが伺える。産業革命が地球環境を後戻りできない状態にしつつあるように、人工知能は我々人類そのものを変容させる力を隠している。つまり我々自身が取り返しのつかない汚染を被る可能性がある、ということだ。もちろん、それが永遠に続くわけではない。産業革命以降の化石燃料に頼った生活様式も、燃料の枯渇と共に衰退するのであれば、人工知能による能力汚染も、人工知能が有効と信じられているあいだの限定的な作用かも知れない。そこに至るまでに人類が何世代の交代劇を必要とするのかはわからないが。
宇宙の成り行きはある意味でとても優雅な時間の流れにあって、我々の鼓動が秒単位のスケールで運動しているとすれば、宇宙は年単位以上の雄大なスケールで運動を続けている。我々一人ひとりは地球上で、宇宙全体の動きよりも数千万倍速いスピード感で生活している。もしも我々が今の時間感覚の数千万分の一のスピードで、億単位の年数を生きられるとしたら、我々の身体そのものが宇宙のようなダイナミズムで動くことになる。卵子と精子が合体した瞬間こそがビッグバンである。
宇宙全体の中で、我々はこの地上にのみ生命活動の場を有し、自然の環境を破壊しながら沢山の構造物を独自の考えに頼って作り上げてきた。そしてこれからは我々の考えをさらに数千万倍のスピード感で演算してくれる道具が、我々の生命活動をサポートしてくれる。時間の流れは誰にとっても常に一定に見え、それぞれの存在が持つ時間的スケールは相対的でありながら、本人にとっては固定されているようにしか感じられない。この格差の中で、創造主も創造物もそれぞれの運動を継続する。
現代人は分刻みの慌ただしいスケジュールのなかで、膨大なエネルギーを消費しながら一度きりの命を盲目に生きている。その分刻みのスケジュールをさらに高効率に稼働させるために演算マシンも手に入れた。人工知能の演算には凄まじい電力を必要とするが、人類の膨大なエネルギー消費をさらに上乗せして、演算マシンは可能な限りのエネルギーを飲み込みながら答えを提供し続ける。分刻みの生活はより稼働力を増し、より多くのミッションをこなすことが可能になる。パワーブースターを着けた生活は、個人の満足感をさらに高めてくれ、自身を万能に感じさせてくれることだろう。そして終末期に入ってやっと、人は人生の虚しさを克服できないことに気付くのだ。他人をいくら出し抜いても、それは運まかせのシーソーゲームでしかないと気付くだろう。自分の勢いは永遠に続くものではなく、むしろ我々が恐れている通り、ここぞと言うときに頼りにならないのは、ほかでもない自分自身になるのだ。
ものごとにはバランスがある。ちょうど良く寄り添い、支え、誰かと、何かと、互いが共にあることを知る。自分ひとりで加速して世界を駆け巡ったとしても、世界を変えることは極めて難しい。あなたごときで宇宙はきっとびくともしない。
宇宙の中にポツンとたたずむ小さな地球を、僕らは俯瞰することはできないが、その事実を知っていることはきっと人生を助ける筈である。その事実を無視して、一人で地上を猛スピードで走り抜けることだってできるだろうが、そうやって走り抜けた道を振り返れば、むやみに辺りを散らかしたに過ぎないことをきっと思い知るだろう。

